今から8年前に不妊治療の末にどん底を経験しました。
その時の看護師さんからの言葉が嬉しく、未来を明るくしてくれ、今も感謝しています。
主人と結婚したのは10年前です。
当時24歳の私と主人は、それほど子供を持つことに憧れはありませんでした。
しばらく夫婦2人で仕事を頑張り、旅行などたくさん行きたいねと話していました。
2年ほど経った時に不正出血が続き、人生で初めて婦人科に行くことになりました。
一通り検査をして告げられたことは、排卵障害でした。
私の排卵障害は、卵胞は育つのに排卵されず不正出血になってしまっていたようで、投薬で治療することになりました。
その時、医師に結婚して2年、子作りは考えていないのかと問われ、
そろそろ欲しいと思っていた矢先だったのでそう答えると、
排卵障害は不妊治療のタイミング法を取るのと同じ理論だから進めることになりました。
そこからが、私の辛くて真っ暗闇の中のトンネルに迷い込んだ時期でした。
今思い出しても胸が締め付けられます。
排卵障害の私は、毎日の投薬と卵胞がある程度育ったら筋肉注射で排卵を促してその時にタイミング法を取るというサイクルを1年ほど続けました。
車の運転が出来ない私は、仕事から帰って来て自転車で20分かけて通院していました。
雨の日も台風の日も。
主人はタクシーに乗りなと言ってくれましたが、不妊治療で家計は赤字になっていたので自転車で頑張りました。
生理予定日間近になると、妊娠初期症状と生理前症状の違いをネット検索し、少しでも妊娠初期症状と思える事があればドキドキワクワクして、生理でリセットされると落ち込んで泣き腫らし、やけ酒をしたり精神的にどんどん病んでいきました。
中でも1番辛かったのは、周りの友人や職場の後輩が立て続けにおめでた報告をしてきても、心から祝福出来ない自分の闇の感情や、
自分はリセットしてしまい、自転車で雨の中、病院に薬をもらいに行かなくてはならない時に、限界を感じました。
そこで、通院することを自主的に中断しました。
その翌月、生理予定日に生理が来たのですが、量は少なく3日で終わってしまい、やっぱり投薬しないと排卵しないのかと思い、数日放置していたらまた出血が始まり不信に思い再び病院に足を運びました。
尿検査で意外なことに妊娠反応がありましたが、医師や看護師の表情は暗く、流産の可能性も示唆され、つらい気持ちになりました。
その日の夜、お腹の激痛を感じ始め歩くことも困難になり、主人に救急車を呼んでもらい夜間救命センターに駆け込みました。
今までの経緯を主人が説明しエコー検査にて、子宮外妊娠が判り、即入院緊急手術となり、私は左卵管を失いました。
術後の痛みと卵管を失った辛さ、自分は妊娠できないことや隣の部屋から聞こえてくる新生児の泣き声など全てが辛すぎて、夜中に泣いていると1人の看護師さんがベッドに腰をかけて背中をさすってくれました。
赤ちゃんが欲しいためにたくさん頑張ったんだね、頑張った結果、痛い思いしかしていないんだから、たくさん泣いていいんだよと言ってくれました。
その晩、忙しい中、何度も様子を伺いにきてくれました。
一週間後、退院する時に看護師さんにお礼を言いに行くと、片側しかない卵管でも可能性は十分にあるから今度は妊娠した姿見せに来てね!と言われ、
そこでやっと暗闇から抜け出して赤ちゃんを授かるためにまた頑張ろう!と思うことができ、あの看護師さんにはとても感謝しています。
現在5歳と2歳の娘に恵まれ、私が緊急手術した救命センターの小児病棟に長女が喘息で入院した時に、あの看護師さんに再会することができ、
数年前あなたに助けられ、今は幸せに子育てしています!
と感謝の気持ちを伝えることもできました。
・このエピソードをお寄せいただいた方
性別:女性
年齢:30代
お住まい:北海道札幌市
感謝を伝えたい方:看護師
体験談をお寄せいただき、ありがとうございました。