・その日はあるとき突然にやってきました。
今にして思えば病気の予兆はそこかしこにありましたが、医学的知識のない私や家族には危険な状態がまったく理解できず、その日はあるとき突然にやってきました。
忘れもしません、所用で取引先に向かう途上、それまで経験したことのない激痛に襲われ、死ぬ思いで事務所に戻った時は虫の息でした。
何がなんだか分からないまま、事務所の仮眠用ベッドの上で三日三晩痛みと不安で一睡も出来ない朦朧状態が続き、ようやく小康を得て這うようにしてたどり着いた近所の外科医院で、運命的な出会いをしました。
その医院にアルバイトで来ていた、某大学病院の医師に診療を仰ぐや、すぐさま翌朝一番で大学病院に来るように指示されました。偶然にもその方と私は同い年でした。
・晴天の霹靂
言われるままに出向いた病院では混雑する外来を通さずいきなり、大学病院地下のレントゲン施設に案内され、撮影された写真をその道の最高権威といわれる先生に見てもらうことが出来ました。
すると、私の年齢ではありえないものが足の関節部分に出来ていて、すぐにも手術をして取り除かなければ片足切断の危険もあると告げられ、緊急入院となりました。
青天の霹靂とはこのことです。生涯で入院だけはしたくない、まして手術は考えたこともなければ、想像することさえ怖いことでしたから、その二つが一気に現実のものとなったときの取り返しの付かないことをしてしまったような思いは、言い表す言葉もないほどの衝撃でした。
・奇跡的な回復をして蘇ることができました。
出来ることなら家に帰りたい、夢であって欲しい、元に戻りたい、短い時間の出来事がとうてい、自分の上に起きているとは思えない、非現実的なことにさえ思えました。
ところが、入院をしてみて驚いたのは、その病院にいる患者の多くはガンなどで、私よりはるかに重い病気に罹った人たちばかりでした。
しかも、入院の許可が出るまで地元の医院から紹介を受けて半年くらい待たされた人がほとんどで、私のように即日入院など一人もいないくらいでした。
地元医院での受診から、翌朝一番でのレントゲン撮影、そして最高権威による見立て。その全ては、地元医院で診てくれた、大学病院からの派遣医師がいたからこそ、可能だったのです。
日本最高の大学付属病院で、最高の医師の手で執刀をしていただき、術後は再手術を示唆されながら8日間足止めされたICUの中で奇跡的な回復をして、蘇ることが出来ました。
その時ベッドの中で思いました。今の医療制度を維持するためなら、多少税金が高くてもしかたない。
とにかく、医師優遇だけは今後とも継続させて欲しい。
優遇されているから彼らは誰彼関係なく頑張ってくれるんだ。
本当に困った時、助けてくれるのは医療関係者です。
彼らの立場、地位は、どれだけ優遇しても足りないことを知らしめ、伝えることが、せめてもの感謝の気持ちだと考えています。
・この体験談をお寄せいただいた方
性別:男性
年齢:30代
お住まい:東京都江東区
体験談をお寄せいただき、ありがとうございました!