私の母の話になりますが、白血病を患い入院した時の事です。
最初の突然の高熱がでて、自宅で看病していましたが、あまりにも続くので病院に入院して検査をすることになりました。
最初の病院では、いくつもの検査をしましたが、これと言って原因がわからないと言われ、大きな病院で精密検査をしてくれとの事で、転院する事になりました。
転院当時も高熱が続き、まだ白血病とはわからず、かなりしんどい日々が続きました。
医師の方々や、看護師さんのお陰で、何とか検査を繰り返し、病名が分かりました。
循環器病の病棟に移り、担当医の医師の方や看護師さんに日々支えながら、闘病生活が始まりました。
担当医の医師から最初に告げられたのは、余命あと2~3か月だということでした。
途方に暮れる家族でしたが、本人の母親は病と闘うと言い、担当医にそう告げていまいた。
数日後に抗がん剤の治療に入ると医師からお話があり、家族も病院に掛け付けました。
その抗がん剤の治療が、本人の体に合わなかったのか、意識不明の状態になり、担当医からもご親族の方にもご連絡下さいと告げられました。
病と闘うと言い、必死の覚悟で臨んだ抗がん剤治療が、とんでもないことになってしまい、家族みんなで母の意識が戻るの必死待ち続けました。
担当医師や看護師の賢明な治療や看護のお陰で、10日後に意識が戻りました。
母は目をさまし必死の覚悟で挑んだ抗がん剤の治療で、生死の狭間をさまよった事を怯えていました。
そこから、しばらくの間は治療という治療も出来ない日々が続きました。
担当医師から、母が病と闘うといったあの強い心を少しでも取り戻してほしいと話があり、前回の抗がん剤程の効果は見込めないが、少しづつでも良い方向になるようお薬を探しますと言われました。
その後、母の気持ちも少しづつ落着き、また治療に取り組める気持ちになってきました。
そんな時、担当医の医師から当病院では使用していないお薬があり、母の症状にはこのお薬が良いのではないかとのお話がありました。
でも、このお薬を使う許可を病院に申請して、許可が出るまでに日程がかかるとの事で、その申請を出して許可を取っている時間が無いので、すぐにでもこのお薬での治療を開始したいとお話を頂きました。
私たち家族も母もそんな事出来るのかなと思っておりました。
数日後、担当医師から
「お薬が届きましたので治療をさせてもらいます。」
と話がありました。
「先生、申請の方はどうなったですか?」
と尋ねると、
「先日お話した通り待っていられないので、私の責任でこの薬を入れました」といい、そのお薬での治療が再開されました。
担当医の医師が必死で探して下さったおかげで、このお薬での治療は、母の病状に良く効き効果的に良好に向かって行きました。
その後も、そのお薬のお陰で余命2~3か月と言われた母が、入院して半年後に退院できるまでに回復していきました。
退院後も、お友達と北海道に旅行に行ったり、家族とも楽しい時間をいっぱい過ごすことが出来ました。
あの担当医の医師が必死で見つけてきてくれたお薬のお陰で、私の母は余命2~3か月の命を1年半まで持たすことが出来ました。
母が他界してから、感謝の気持ちでお礼を言おうと家族で病院を訪ねたところ、担当医の医師は病院を辞めていました。
後から聞いた話ですが、申請を出さずに病院のルールを守らずお薬を入れ治療した事の責任で、辞職されたそうです。
今思えば、かなり病院にはいにくい状態だったのではないかと思いますが、
自分の進退も顧みず、ただ患者の為に最善の治療をして下さった、あの担当医の医師に今でも家族皆感謝しております。
また、誠心誠意で看護して下さった看護師の皆様にも感謝しております。
・このエピソードをお寄せいただいた方
性別:男性
年齢:40代
お住まい:奈良県生駒市
感謝を伝えたい方:医師 看護師
医師の先生、看護師さんとのエピソードをお寄せいただき、ありがとうございました!