うつ病との診断で、その薬を飲み、1人暮らししていた時です。
仕事のストレスが高まる度に、心療内科に通い、うつ病の薬を増量してもらっていました。
そんな状態が極限まで高まると、自分の中に、自殺したいという欲求が生まれ始めたのです。
最初の日は、友人に電話で苦しさを聞いてもらい、思いとどまりました。
次の日は、職場の上司に話し、その日も思いとどまりました。
しかし、三日目には、自殺の方法を考えるようになり、誰からの電話にも出ず、1人で寝ていました。
そして、五日目の夜、車を運転し川や湖に飛び込んで、事故に見せかけて自殺しようと思い立ったのです。
事故のほうが、保険金がたくさん下りて、後に残された家族の為になるだろうと考えたのです。
しかし、車を走らせても適当の場所が見つかりません。
2時間位、車を走らせて疲れ果てた時に、気が付くと職場の看護部門の主任に電話していました。
電話で、今に至ったいきさつを話すと、主任は喜んでくれました。
「良く、電話して来てくれたね。嬉しいよ。」
主任は看護師です。
きっと、マニュアルどおりの対応だったのかもしれません。
しかし、ほんとに追い込まれている自分にとっては、天使の声のように聞こえました。
主任は、翌朝一番に、主治医の心療内科医のところに行くこと。
今日にいたる気持ちを、全て話すこと。
入院させてもらえる病院を紹介してもらうこと。
この三点を私に言い聞かせると、実行した証に、私の携帯電話にワン切りで着信を残すこと。
この四点を約束させられました。
そして、うまく話しが進まない時は、ワン切りではなく、私が電話に出るまで、携帯を鳴らし続けること。
五点目の約束もしました。
そして、翌朝、心療内科医の所に行き、全てを話し、入院させて欲しい。そう頼みました。
心療内科医は、では今から心当たりの病院に電話するので、少し外で待っていて下さい。とおっしゃいました。
時間にして10分程した時、再び診察室に呼ばれました。
心療内科医は、「以前、私が勤務していた精神科の入院病棟を持つ病院に頼みました。」
副院長が受けて下さいましたので、今から入院の準備をして、病院に行ってください。タクシーで行けますね。
そう話して、紹介状を書いて、送り出してくれました。
タクシーで着いた病院の外来で、最初にインターンで来ているという若い医師に、今までの流れを30分あまりかけて、説明しました。
そして、副院長とインターンの先生二人で、私の診察を始めて下さったのです。
入院する病棟は直ぐに決まり、荷物を持って、インターンの先生と一緒に病棟に行きました。
病棟では、担当の男性看護師さんが、入院するにあたり、最低限の説明をしてくれ、とにかく今日は、薬を飲んで寝て下さい。詳しい説類は明日しますね。と話してくれました。
入院の荷物は、私の了解の元、看護師さんが全てチェックされ、自殺に使えるような用具は、全て預けることになりました。スマホの充電コードや、針金のハンガー、ベルトなどを預けました。
その晩から、翌朝にかけては信じられないぐらい、爆睡しました。夜中一度も起きず、朝10時頃目覚めました。
朝食は、もう二時間立っているので給食は食べられないのでと、売店でパンを買って来て、食べさせてくれました。
もう、自分は自殺しなくて済む。そう思えたことで、緊張の糸が一気に緩んだ。そんな気分でした。
そして、担当の男性看護師さんは、「もう大丈夫だから。みんなが貴方を守っているから。今までのことを、先生に全て話して、解決方法を探していきましょう。」
そう言ってくださり、本当にそのとおり、私は新しい主治医に、生まれてから今日に至る、全ての出来事を話していきました。
副院長と、インターンの先生が交代で、私の問診を毎日してくださり、それはパソコン上の記録として全ての医療従事者の共有するところとなり、私の本当の病気が明らかになってきました。
単なるうつ病ではなく、「Ⅱ型双極性障害」という、軽い躁状態と、深い鬱状態が交互に現れる病気であったことが。
真の病気を見つけるに至った、職場の看護主任。良い先生を紹介してくれた心療内科医。新しい主治医とインターンの先生。そして、担当の男性看護師さん。
全ての方に、感謝を捧げるつもりで、この文章を書きました。
本当に、私の命を守ってくださり、ありがとうございました。
・このエピソードをお寄せいただいた方
性別:男性
年齢:50代
お住まい:滋賀県高島市
感謝を伝えたい方:看護師、医師。
エピソードをお寄せいただき、ありがとうございました!