私は、自己免疫性脳炎という病気で入院していました。
入院した当初は、意識もはっきりしていたのですが、意識障害が進み、ある日、天井を見つめたまま動かなくなりました。
家族は悲しみ、私の主治医に訊きました。
「この病気は治りますか?」と。
私の主治医はこう言いました。
「治る場合もあります」と。
家族は、主治医の言った「治る場合もある」という言葉が励みになり、前向きになりました。
難しい病気であったと思うのですが、「難しい」とは言わなかったそうです。
私の意識はなかなか戻らないまま、1ヶ月半が過ぎました。
その間、あらゆる治療(主に点滴)を行い、ある日、私は目を覚ましました。
意識はしばらく朦朧としていて、呼吸器を入れるために喉を手術していたため、声も出せませんでした。
声を出せない苛立ち、体が動かない苛立ちは想像を絶するものでした。
1ヶ月半眠っていた体は、赤ちゃんのような状態で、起き上がることなど当然のようにできず、寝返りをうつことすらできませんでした。
かろうじて指先が動かせる程度でした。
私がなった脳炎という病気は、けいれん発作が起きるもので、目がさめてしばらくの間は、いつ発作を起こしてもおかしくなかったので、点滴のルートが常に確保してありました。
しかし、だんだんと不自由なことに対する苛立ちは最高潮になりました。
常に熱がある辛さ、伝えられないもどかしさから、ある日私はスマートフォンのメモ帳に主治医にメッセージを書きました。
「早く治せ」と。
これでも、私の回復は劇的だったようで、「こんなに早く治ることがあるのか?」と、慎重に治療されていたそうです。
そのメッセージを主治医に見せたとき、「きみは死にかけたんだよ?わかってる?」と言われました。
脳炎という病気になって、私はいろいろなことがわからなくなりました。
感覚だけで生きる人間になりました。
たった一つ自分に残った「感覚」というものだけで、私は主治医のことを信じたいと思いました。
なぜかはわかりません。ただ、信じたいと思いました。
そして、私の力を信じてほしいと思いました。
私の気持ちを主治医に伝えてから、主治医は私の気持ち、感覚に耳を傾けてくれるようになりました。
点滴が少しづつ減っていき、リハビリも頑張れるようになり、そこからさらに劇的な回復をしました。
一時期は命が消えてもおかしくなかった病気を、主治医と力を合わせて治しました。
回復期に入った入院3か月目。人工呼吸器を入れていた喉の傷もだんだんとふさがり、声が出るようになってきました。
私は、リハビリ室でおもちゃのピアノを見つけました。
もともと音楽が大好きだった私は、そのピアノ貸してもらい、病室(個室)に持ち帰って遊ぶことにしました。
最初は、好きなバンドやアイドルの曲を演奏していたのですが、ある日「この小さなピアノで曲を作ってみよう」と思いました。
家族のアドバイスもあり、「主治医への感謝の曲」を作りました。
その曲を主治医に聴いてもらったところ、とても喜んでもらえました。頑張ってよかったと思った瞬間でした。
退院の日、私は長い手紙を主治医に渡しました。
「ありがとう」しか出てこなかった、それでもたくさん「ありがとう」と伝えたかった。手紙は便せん5枚に渡りました。
病院を出たら、もうそう簡単には会えないから、すべてを伝えたい、そう思いました。
先生が「治る場合もあります」と言ってくれたから、私の家族は信じて、私のことを待つことができました。
私の病気は、この医師に出会っていなければ、治っていなかったのかもしれない、そう思うことがあります。
これも「感覚で」です。
脳の病気はとても不思議でした。いろいろなことが考えられなくなるから、自分の感覚を頼りにするしかない。
目が覚めて、周りの音がすべて耳に入って来て怖かったときも、物がすべて二重に見えたときも、呼吸が苦しかったときも、
何もわからなくてすべてが怖くて、家族や主治医のことすら信じられなくなりそうだったときも、
それでもどこかで、私は主治医を信じていたのだと思います。
「命を預ける」ということは、信頼していなければしたくありません。
でも、私は、救急車で運ばれたあの日から、主治医のことをずっと感覚だけで信じていたのだと思います。
「何をしてもらったから嬉しい」という体験談とは少し違うかもしれませんが、
「命を助けてもらったから嬉しい」と思いました。
生きていることは今でも奇跡だと思います。
なので、今でも「先生に命を助けてもらったことが嬉しい」です。
今日も当たり前のように、朝起きて、ごはんを食べて、出かけたり、眠ったり、歌ったり、笑ったり、怒ったりできるのは、先生が私の力を信じて、救ってくれたからだと思っています。
今も、どこかで、誰かを救っているのでしょうか。
私の難しい病気を治してくれたことが、先生の希望になっていますように、と今でも願っています。
最後に、私が退院の日に渡した、先生への手紙に書いた一部を抜粋します。
「私は、どこへ行っても、先生に救ってもらった命を大切にします」
病気になる前、私は消えたいと思ったことが何度もありました。病気になる前、たくさんたくさん辛いことがありました。
それを誰にも言えずに閉じ込めて、何年も生きていました。
私がなった病気は「自分で自分の細胞を攻撃する」という病気だったそうです。
恐ろしい病気だと思います。
今は、消えたいなんて二度と思いません。
一日一日、一秒一秒生きるたびに、「命を大切にする」ということを意識するようになりました。
命を大切にしようと心から思うようになったのは、先生との出会いがあったからであると思います。
強く生きて行こう、しっかり生きよう、なんてことは、恥ずかしながら病気になる前は考えなかったことでした。
病気になったことを不幸だと思わずに、自分の人生の勉強であり必要なことだったと捉えられるのも、主治医と出会うことができたからだと思います。
命ある限り、感謝をして生きていきます。
当たり前のことかもしれませんが、私は病気になり、先生に出会っていなければ、そのことに気づきませんでした。
1日、1秒を、大切に生きていきます。
・このエピソードをお寄せいただいた方
性別:女性
年齢:30代
お住まい:東京都杉並区
感謝を伝えたい方:医師
お医者さんとのエピソードをお寄せいただき、ありがとうございました!