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医療・介護職の「ありがとう」エピソード集

くも膜下出血後、植物人間状態だった叔母を見ながら、苦しくて辛くて悲しい毎日でしたが、ICUの看護師さん達のおかけで、私たち親族はみんな気力を取り戻すことができました。

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私が体験した医療職から受けた嬉しい体験談についてです。

 

「嬉しい体験」というよりも「感謝の気持ち」の方がはるかに上です。

 

昨年夏の終わり頃、叔母がくも膜下出血にて救急搬送されました。

 

8時間以上にも及ぶ大手術の中、集まった親族達は浮かない顔をしていました。

 

叔母の子供もまだ学生で、たった一人のお母さんが危ない状況であることへの不安から、今までに見たこともないくらい、暗い表情をしていました。

 

手術はうまくいったものの、執刀医からは

「命は助かりました。ただこのままいわゆる植物人間状態になる可能性が高いし、目が覚めても重度の障害が残るでしょう」

と辛い言葉が発されました。

 

ICUに運ばれた叔母には、沢山の管が繋がっていました。

 

それから数日経っても、叔母は目が覚めません。

 

毎日のようにICUに通いました。

 

ICUに行くたびになきました。

 

その時、何も言わずに仕切りのカーテンをゆっくりしめてくれた看護師さんかいました。

 

今までの看護師さんは、私たち家族が泣いていてもおかまいなしに、テキパキと仕事をこなして見て見ぬ振りをされていました。

 

もちろんそれが最善の方法なので、見て見ぬ振りの看護師さんにも感謝しています。

 

しかし、一人の看護師さんは、泣いているのをそっと隠してくれました。

 

その看護師さんは私がICUに来ると、何の反応もない叔母に、

「ほら○○さん。今日も来てくれはったよ〜。良かったねぇ」

と叔母の腕を撫でてくれました。

 

当たり前のように話しかけてくれる看護師さんに、とても心が救われました。

 

管がたくさん繋がったままの植物人間状態の叔母を見て、どこか叔母ではないような…全く別人なような気がしていましたが、優しく声をかけてくれて、触れてくれた看護師さんのおかげで「あぁ…叔母は生きているのだ」と感じられるようになりました。

 

それからは家、族が入れ替わり立ち代わりで、叔母に会いに行きました。

 

日に日によくなっていきました。

 

いつのまにか自発呼吸ができるようになり、腕が動くようになり、目を開けるようにもなりました。

 

少しですが、腕を動かす叔母を見た時、驚きと感動で、近くにいたICUの看護師さんに

「動いてます!意識あるんですかね?」

と勢いよく聞いてしまいました。

 

その近くにいた看護師さんは

「みなさんが毎日来てくれて、声をかけてくれたおかげですね。○○さん、聞こえてるもんねぇ」と、

とてもステキな笑顔で返してくださいました。

 

くも膜下出血後、植物人間状態だった叔母を見ながら、苦しくて辛くて悲しい毎日でしたが、ICUの看護師さん達のおかけで、私たち親族はみんな気力を取り戻すことができました。

 

主治医の先生もしっかり叔母のことを見てくれて、

自発呼吸が始まって、意識が戻った後には早く回復できるように、

と重度の身体障害が残る叔母にリハビリの先生もつけてくださいました。

 

少しでも早くICUから出られるようにと。

 

しかし、やはりお医者さんなので厳しい言葉もかけられます。

 

くも膜下出血後の後遺症についての話です。

 

麻痺が残っていましたが、それについても。

「治ることはない。前と同じ生活はできない」

とはっきり伝えられることもありました。

 

「しかし、出来ることは全てします。早く一般病棟に行って、構音障害があっても文字盤を使ったりして意思疎通が出来るように」と、沢山のリハビリを考えてくださいました。

 

ICUを出てから一般病棟に移った叔母でしたが、ICUにいた頃とは変わらずいつ脳に何が起きるか分からない状態でした。

 

しかし、病棟の看護師さんも、毎日のように献身的にケアをしてくれました。

 

女性だからと髪の毛を整えていてくれたり、

はだけていた部屋着も定期的に整えに来てくれたり、

「○○さん」と話しかけに来てくれたりと、

面会終了後も安心して、みなさんにケアをお願いできました。

 

くも膜下出血にて脳梗塞も発症し、叔母の左の脳は壊滅状態でした。

 

言語障害、感情障害、運動機能障害、重度の身体麻痺など、多くの障害が遺ってしまい、私たちの言葉も理解していないかもしれないと言われていました。

 

しかし、そんなことは関係なく、看護師のみなさんは、叔母に毎日優しく丁寧に声をかけてくださっていました。

 

化粧が好きだった叔母だからと、私が色付きのリップクリームを置いておくと、何も言わなくても毎日叔母の唇に塗っててくれました。

 

きっと看護師さんも、忙しい業務なので、必要最低限のこと以外は極力省きたいはず。

 

しかし、業務やケア以上の、優しい気持ち、真心で、リップクリームを毎日塗っててくださったのだと思います。

 

「良かったら保湿クリームや化粧水も持って来てくだされば、毎朝塗らしていただきますよ?」

とまで言ってくださったので「悪いな」と思いながらも叔母の為にと、お願いしてしまいました。

 

私も福祉の仕事についていますが、日々の業務に追われて、なかなか思った以上のケアや心がけをできないことがあります。

 

しかし、目の前の患者や利用者、家族の思い、本人が生きてきた中で大切にしていたことなどを、ケア側も大切に思うことで、感謝の気持ち、嬉しい気持ちがたくさん生まれることを、今回の叔母の入院を機に感じることができました。

 

その後、3ヶ月以内に、叔母は違うリハビリ病院に転院しました。

 

そのリハビリ病院でも、日々関わる看護師さんや理学療法士さん達は、なるべく叔母が今までの生活を取り戻せるように、家に帰った時、一つでも自分で出来ることが増えるように、と毎日必死にリハビリを行なってくださいました。

 

脳に重度の高次脳機能障害が後遺症として残っていた叔母は、すぐに癇癪(かんしゃく)を起こしたり、泣いてわめくこともありました。

 

携わってくださっている方々に悪くて、私達親族は「すいません、すいません」と謝っていましたが、皆さん口を揃えて

「感情が残っていることはいいことです。○○さん!一緒に頑張るよ!」

 と嫌な顔せず、私達親族までも前向きにしてくださいました。

 

そのおかけで、なんと植物人間状態かと言われていた叔母が、今は杖を使って一人で歩くことができています。

 

文字もかけるようになりました。

 

構音障害で言葉は出にくいですが、リハビリで根気よくしてくださっていた筆談によるコミュニケーションリハビリのおかけで、今は叔母とのコミュニケーションも円滑に取れるようになりました。

 

ここまで回復するとは思っていませんでした。

 

何でうちの叔母がこんな目に合わなければいけないのか、

今まで女手一つで子供達を育ててきた叔母が何を悪いことしたか、

と悲観的な考えだった私も、会うたびに出来ることが増える叔母を見て

「やった!できたね!次はこれしよう」

と、とても楽感的になれるようになりました。

 

更に、興味があった障害分野について、勉強することも出来るようになりました。

 

これもあの時、執刀してくれた先生が何時間もかけて繋いでくれた命のおかげです。

 

難しい手術を諦めずに、何度も家族に意思を確認しながら手術を行なってくださった執刀医の先生には、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

叔母を助けてくれてありがとうございます。

 

諦めないでいてくれて、真夜中でも飛んで来てくれてありがとうございます。

 

実は、その時執刀した医師の先生は数年前に事故にあって脳出血した私の従兄弟を救ってくれた先生だったのです。

 

こんな奇跡!?と思いましたが、

「同じ病院で同じ脳外科だからあり得るよねっ」

と親族達で笑っていました。

 

この世の医学の発達と共に、いつまでも真心を捨てずにケアをしてくれている看護師さん達にも、沢山の感謝を伝えたいです。

 

叔母が幸せに過ごせたのも、あの時、多くの愛情を持って接してくださった方々のおかげです。これからも多くの命と悲しい気持ちを救ってあげてください。

 

・このエピソードをお寄せいただいた方

性別:女性

年齢:20代

お住まい:滋賀県東近江市

感謝を伝えたい方:医師、看護師、リハビリの先生

 

エピソードをお寄せいただき、ありがとうございました!