ここぴたる!

医療・介護職の「ありがとう」エピソード集

娘がお空に戻ってから、今私は集中治療室の看護師として、あのとき娘の写真を撮ってくれた看護師さんのように、心にそっと寄り添える看護を目指して働いています。

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初めての妊娠、出産でした。


妊婦健診では、「赤ちゃん小さめだね。」と産科の先生から言われていましたが、それ以外は順調でした。


逆子が治らず、39週の正期産で帝王切開になりました。


赤ちゃんがお腹から出された後、頭上にいる麻酔科の先生が呟くようにして言いました。


「赤ちゃん小さかったの?」

 

それ以降、しーんとした手術室。

 

肝心の赤ちゃんの泣き声さえ聞こえません。


どれくらいの時間か分かりません。

 

ずずーっという吸引の音のあと、ようやくか細い泣き声が聞こえました。


「女の子ですよ」という助産師さんの声と夫そっくりの小さすぎる赤ちゃん。


「少し寝ましょうね」と麻酔科の先生に言われた後、意識を手放しました。


目が覚めたら、ナースステーションから一番近い部屋にいました。


すると、たくさんの人が病室に入ってきました。


産科の先生から、赤ちゃんが低出生体重であり心臓一部に穴が空いていること、

そのため違う病院に緊急搬送が必要だと告げられました。


赤ちゃんは違う病院に搬送されていきました。


入院中、私の涙は留まるところを知りません。

 

赤ちゃんがそこにいないから、沐浴の指導も授乳の指導もなく、他のお母さんたちと比べ助産師さんと関わる時間があまりなかったので、そのこともとても辛かったです。

 

他のお母さんたちは、自分の赤ちゃんと一緒にいられるのに。どうして私は一緒じゃないんだろう。


空っぽになったお腹、傷が痛くて辛いだけのお腹。


みんなが授乳している横で1人搾乳をする悲しさ。


その空間が辛く、また早く赤ちゃんに会いたくて入院期間を半分残し、逃げるように退院してしまいました。

 

それからようやく赤ちゃんに会いにいくことができました。


NICU(新生児集中治療室)でうつ伏せで寝ている娘。


夫が撮ってくれていた写真の何倍もかわいい。


でも点滴など痛々しい姿がそこにありました。


娘の主治医がやってきて、たくさんの病名を告げられました。

 

小さく生まれたがゆえ、低血糖や黄疸、当初から告げられていた心臓の穴。


それでもまだ私は、今思えば楽観視していました。


もう少し大きくなって手術すれば大丈夫。

 

女の子なのに手術跡が残るのは申し訳ないけれど、今の技術なら傷跡もきれいになるだろう。


丈夫に生んであげられなくてごめんなさい。


そう思っていました。

 

それから3週間後、絶望的な告知を受けるなんて知らずに。

 

NICUには毎日足を運びました。

 

するとある看護師さんが写真をくれました。

 

娘の沐浴の写真です。

 

湯に浸かり目をぱちくりしている娘。

 

頭にはソフトクリームのような形にされた泡を乗せて。

 

写真はシールなどでかわいくデコレーションされていました。

 

頭が下がるとはこのことです。

 

たくさんの未熟児たちがいる新生児室。忙しく非常に神経を使う仕事でしょう。


その合間に、普段見ることのできない子どもたちの表情を写真に収め、かわいくデコレーションまでしてプレゼントしてくれるのです。

 

しかもたびたび。


会えない時間が多すぎる私たち親にとって、それはとてもとても嬉しく、なんて素敵な看護師さんなのだろうと、心から尊敬と感謝をしました。

 

ある日、娘の主治医から「検査結果が出ました。ご主人と一緒の時にお話します。」と言われました。


その顔を見てとてつもなく不安に駆られました。


翌日、小さな部屋のなかに夫と私、主治医の先生と看護師さん、医療相談員さんの5人で向かい合っていました。

 

先生が口を開きます。


「娘さんは18トリソミーでした。」


この疾患を持っている子の93%は産声をあげられない、生まれてきても50%は一月以内にお空に戻ってしまう。


一年生存率は10%未満で、いわく絶対的予後不良です、と。


「もちろん奇跡を起こし続けている子もいますよ。統計も昔のもので今は生存率は上がっていると思います。」

 

あまりの告知に私も夫も涙を流すことしかできませんでした。

 

医師の先生も看護師さんも医療相談員さんもみんな泣いていました。

 

私たちのために泣いてくれました。


ああ、この子のそばにいられるのは本当に短い期間なのだな。

 

ならば早く家に連れて帰ろう。

 

例え僅かな時間だとしても家で一緒に過ごそう。


私と夫の想いは同じでした。

 

その想いを伝えると、先生は予想していたようですぐさま医療相談員の方が具体的な話を始めました。

 

ある程度の話が終わり、NICUに戻り驚きました。


娘が保育器から、コットに移されていました。


これまで保育器の丸穴から触るだけしかできなかったのに、これからは抱っこしたい放題になったのです。


このあとも色々命の危機はありましたが、先生を始め、看護師さん、リハビリの先生、医療相談員の方々の協力のもと、とても早く退院することができ、約2年自宅で一緒に過ごすことができました。


娘がお空に戻ってから、今私は集中治療室の看護師として、あのとき娘の写真を撮ってくれた看護師さんのように、心にそっと寄り添える看護を目指して働いています。

 

 

・このエピソードをお寄せいただいた方

性別:女性
年齢:30代

お住まい:千葉県柏市

感謝を伝えたい方:看護師、医師

 

エピソードをお寄せいただき、ありがとうございました。