私がある助産師の方から受けたケアで、とても嬉しかった体験談をお話させていただきます。
私は、20歳の時に妊娠、出産しました。
今や10代での妊娠も珍しくなく、若いお母さんは世の中にたくさんいると思いますが、当時私の周りにはそんな友人はおらず、若いお母さんとしての先頭を切ってしまいました。
しかしいくら若いとは言っても20歳。もう成人しています。
法律的には大人であるため、意思決定は親の同意なく行うことができます。
ですが、私の母はとても過保護なタイプの母親で、20歳になってもいまだに保険証も自分で持ち歩くことが許されていませんでした。
そんな母親であるため、やはりことあるごとに、私の決定に意見を出すような人でした。
妊娠経過は至って順調で、とうとう陣痛が来た、というときに入院となりました。
明け方近くのまだ暗い時間の入院でした。
その時は、夫が仕事の都合上、立会いができなかったため、母の運転で送ってもらい、病院に行きました。
陣痛は来ているものの、子宮口の開きはまだまだ、ということで付き添いの母は一度帰宅することとなりました。
そして夜が明けたその日の朝、のちに私がとても感謝することになる助産師の方が、担当として挨拶にきました。
ベテランの助産師さんで、痛い痛いと言う私に対し、叱咤激励をするような頼りになる助産師さんでした。
陣痛逃しのコツなど、とても有効な方法を教えてくださいました。
その後スムーズに陣痛が進み、そろそろ分娩室に移動しようというところまできた際に、その助産師さんは言いました。
「お母さんはどうする?呼ぶ?」と。
そこで出産が近くなったら母に連絡をする予定であったことを思い出しました。
普通なら誰かについていてほしいのかもしれませんが、その時私は、
自分が痛みに弱音をはいたり苦しんでいる姿を誰にも見られたくない、
一人で集中してお産がしたい、
と思いました。
しかし、今まで過保護な母に育てられてきた私は、
母のことを呼ばなくてはいけないのではないか、と
いうか母がそれを望んでいるのではないかと考え、悩みました。
私自身の気持ちではなく母の気持ちを優先させようとしていました。
私が痛みに悶えながらも答えを出し渋っていると、その助産師さんはこのように答えました。
「もしも嫌だったら呼ばなくてもいいんだよ。自分のお産なんだから、自分の気持ちで決めていいんだよ」と。
その言葉を聞き私は「呼ばなくていいです」と即答でした。
その言葉かけは、私個人を尊重してくれるものでした。
また、人の顔色が気になって、なかなか自分の意見を伝えられない私の自己決定を促してくれるものでした。
お産を「自分のこと」と表現してくれたことで、私は自信を持って分娩台に臨むことができたのを覚えています。
その後、分娩室でも苦しい時間は続きますが、陣痛の合間合間で助産師さんがかけてくれる言葉に守られているような気持ちになり、とても心強く思いました。
そしてお産は無事に終わり、その助産師さんは私の希望通り、産後すぐに母に連絡をしてくれ、数時間分娩室で休んだ後に、母と対面する形になりました。
今まで母の過保護のもと生きてきた私が、初めて自分の力だけで何かを成し遂げたような気持ちになりました。
あの時、助産師さんが私個人の気持ちを尊重してくれたことで、自分の気持ちに素直になることができ、満足のいくお産をすることができました。
お産は一般的には苦しいものとして語られますが、私の中ではとても達成感のあった体験として残っています。
この体験をしたのはもう10年ほど前のことになりますが、その時の雰囲気や気持ちは今でも忘れずに覚えています。
あの時から私は一人の人間として生まれ変われたような気がします。
この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。
・このエピソードをお寄せいただいた方
性別:女性
年齢:30代
お住まい:神奈川県藤沢市
感謝を伝えたい方:助産師さん(看護師さん)
助産師さんとのエピソードをお寄せいただき、ありがとうございました。