私の母が交通事故に遭って入院していた時の話です。
母はまだ30代でしたが、交通事故に遭い中心性脊髄損傷で不全麻痺がありました。
完全に動かないわけではないけれど、腕の上げ下げがやっとできるくらいで、物を掴んだりなどの細かい動きができませんでした。
腕も感覚がないだけでなく、24時間ビリビリとした神経の痛みがあり痛み止めや神経に効く薬を飲まないといけないほどでした。
毎日リハビリを行なっていましたが、痛みや思うように動かせないもどかしさ、制限された生活などでかなりのストレスを抱えていたようです。
私たち家族も面会に行っても『頑張って』としか言えず、無力さを感じていました。
家族全体で精神的に病んでいた時期だと思います。
いつもはリハビリ室でリハビリを行なっていた母ですが、その日は『もうリハビリに行きたくない』と看護師さんに申し出たそうです。
看護師さんもリハビリに行くように促したり話を聴いてくれたようですが、もともと頑固なところがあり、意思を曲げなかったようです。
看護師さんが医師と相談のうえ作業療法士さんに連絡し、今日のリハビリは中止にしてもらうようならお願いしてくれました。
私たちが面会にいき何故リハビリが嫌かという話を聞きました。
母は『痛い思いをしてリハビリをやっているのに一向に良くならない。ご飯も一人でまともに食べることができず、排泄も手伝ってもらわないとできず、苦痛なだけ。もう嫌になっちゃった』と弱音を吐きました。
母の初めての弱音だった為私たち家族も強くリハビリに行くように言うことができませんでした。
しばらくすると、作業療法士の先生が母の部屋にやってきました。
私たちが母の気持ちを代弁しました。作業療法士の先生は『私たちは一般的なマニュアルに沿ってリハビリを行なってしまい、〇〇さんの気持ちを汲み取ることができませんでした。すいません。』と謝り、
続いて、『〇〇さんはまず何ができるようになりたいですか?一緒に目標を考えましょう』と仰ってくれました。
母は『一人で食事ができるようになりたい。』と言いました。
作業療法士さんは『わかりました!じゃあ、まずは食事をご自分でできるということを目標にやりましょう。手の痛みがあるということなので、お薬のタイミンも主治医に相談してみましょう』と提案してくれました。
そして、『今まで一生懸命やってきたことも無駄ではありませんよ。でも、一日休むとまた戻ってしまうことがあるから、痛くないときでいいのでこのボールをにぎにぎしてください。それだけでも十分なリハビリになります』と言って帰られて行きました。
私は大勢いる患者の中の一人として母に接するのではなく、母個人を個別性を持って考えてくれる作業療法士の先生の気持ちがすごく嬉しかったのを今でも覚えています。
母も、作業療法士さんに自分の気持ちをわかってもらえたことが嬉しかったようで、表情が明るくなったのがわかりました。
翌日から母のリハビリは昼食の少し前から始めて、リハビリを行なってから食事をするというスケジュールになりました。
また作業療法士さんが手作りで母でも握れるスプーンを用意してくれたので、白米やスープなら自分で口に運べるようになりました。
やはり長時間行うと疲れが出てしまうようでしたが、今までよりも自分で食べれるようになり、食事の量も増えて行きました。
痛み止めもリハビリを始める30分ほど前から頓服の薬を飲むことができるように、主治医が処方してくれました。
そのおかげで一番痛み止めが効いているときに、リハビリと食事ができ今までよりも積極的にリハビリに臨めるようになったようです。
食事介助をする看護師さんも母を急かすことなく『ゆっくりでいいですよ。』と毎回時間をかけて介助してくれたおかげで、母も徐々に食事を楽しむことができるようになりました。
食事をするという目標を達成するために、私たち家族も麻痺のある人が使いやすい食器やスプーン、フォークなどを探し、積極的に母のリハビリをサポートしました。
母がリハビリを拒否してから約1カ月、作業療法士の先生の様々なアイディアもあり、母は一人でほぼ食事を完食できるようになりました。
人とは欲張りで、一つできるようになるとまた一つやりたいことが増えるようで、今度は母から一人で着替えができるようになりたいとの希望がありました。
作業療法士の先生は『〇〇さんから自分でこうしたいという意志を聞けることはとても嬉しいです』『食事もかなり上手に食べれるようになったので、次のステップに移りましょうか』と話してくださいました。
これも作業療法士さんの様々な工夫やアイディアで母が着替えをしやすい方法を教えてくれました。
私たちもいつも着替えを手伝っていましたが、時間がかかるのでどうしても手を出してしまっていました。
すると、作業療法士さんが母のいないところで
『時間はかかりますが、自分で出来たという達成感や自己肯定感がお母様のやる気に繋がります。本人が手伝ってほしいと言うまではどうか見守ってあげてください』
と言われました。
私たちもその通りだと思い、手を出したいという気持ちをぐっと堪え、母を見守っていました。
最初は母も思うように袖に腕が通らなかったり、ボタンが止められなかったりとイライラしている様子が見えました。
ですが、私たちも口も手も出さず、母からお願いと言われるまでやらないようにしました。
頑固な母だったので、自分でやると決めたからには時間はかかりながらも、なんとか着替えていました。
着替えの方も2週間ほど根気強くやっていると、以前よりもスムーズに着替えられるようになりました。
一つのことができるようになる度にまた新しい目標を立ててということを繰り返し、ある程度のことが自分で出来るようになっていきました。
主治医を日常生活を送ることができるだろうと判断し、事故から4ヶ月後退院することができました。
今も痺れや痛みは残っていますが、痛み止めを飲みながらほぼ問題なく過ごすことができています。
母に明るさが戻り、日常生活を送ることができているのも作業療法士の先生が母に合ったリハビリの仕方を考えてくれ、根気強く付き合って頂いたからだと思います。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
・このエピソードをお寄せいただいた方
性別:女性
年齢:20代
お住まい:栃木県佐野市
感謝を伝えたい方:作業療法士さん
作業療法士の先生とのエピソードをお寄せいただき、ありがとうございました!