「先生、わたし、大阪駅まで出かけてきたのよ昨日!」
エヘン!とでも言いたげに、微笑みながら威張る彼女は70代の女性。
仮にAさんとしておきます。
Aさんはパーキンソン病を患っている方でした。
パーキンソン病は姿勢が前かがみになる、
筋肉が固くなってこわばるので動くのが難しくなる、
その反面一度歩き始めると、突進していくように加速するために立ち止まることが難しく、転倒するリスクが高い
という特徴のある病気です。
パーキンソン病は進行性の病気で、Aさんもだんだん歩きにくくなってきたこと、大好きな手芸ができなくなってきたことから、私が勤めていた総合病院のリハビリテーション科に紹介されてきました。
理学療法では、基本的な動作や姿勢の矯正をメインに、作業療法では、Aさんの強い希望で、手芸と椅子に座ってできる体操をメインに行っていました。
もともとは積極的な性格で、外を出歩くのも大好きなAさん。
パーキンソン病になってからは、人混みを歩くのが怖くて、家から病院まで週三日外出するだけになっていました。
パーキンソン病には、ちょっと肩が当たっただけでもバランスを崩しやすい特徴もあるからです。
人混みで人と接触すると転倒してしまい、一度転倒すると一人では起き上がれません。
年齢的にも、家と病院の距離が歩けていればいいかな、とご本人と担当の理学療法士と話し合って維持目的で外来リハビリを続けていました。
なのに、です。
突然、何の相談もなく(笑)、よりによってお一人で!電車に乗って大阪のど真ん中まで出かけてきたというのです。
大阪駅という場所は、様々な方向から人がすごい勢いで歩いてくるので、地元民でも慣れていない人はうまく歩けないほど歩くのが難しい場所。
なので、担当の理学療法士と私は「はあ?!」と、にわかには信じられませんでした。
まさか、あなたがあの大阪駅の人混みを一人で?!
私たちが驚けば驚くほどAさんは誇らしげに笑います。
「もう一度、どうしても行ってみたかったの。なんだか行けそうな気がしたから先生たちに『行けたよ!』って報告したくて黙って行ったの」。
「それでね…これを先生たちに」と小さな包みを一つずつ渡されました。大阪駅まで出かけられた記念のお土産だと。
病院で患者さんやご家族から金品をいただくのは禁止されています。
けれど、このときだけは断れませんでした。
なぜならその小さな包みは、単に
「お世話になってます、今後もよろしく」
という金品ではなく、
Aさんがリスクを背負って遠出をして、無事に帰ってきたことを証明する記念品だから。
この百貨店の包装紙は、大阪でも大阪駅まで出ないと絶対に手に入りません。
だからこそ私たちは心底驚いたのです。
きっとAさんも、この包装紙を私たちに見せることに、日頃の成果や感謝を込めたのだと感じました。
リハビリの仕事をしていても、進行性の病気に対しては無力感をもつことが多いです。
病気はどんどん進行していく。
そこをどれだけ歯止めをかけられるか。
リハビリをしていても、良くならないばかりか維持すらできないことに、気持ちが萎えてしまう患者さんも多くいらっしゃいます。
そんな中で、年齢も病気もいとわずにチャレンジしたAさん。
日々の積み重ねの中で「できそう」と感じ、
やってみようと自分で決め、
前向きな行動に移した。
その姿勢に私たちが励まされました。
小さな包みに入っていた置き時計は今も私の机の上で時を刻んでいます
・このエピソードをお寄せいただいた方
性別:女性
年齢:40代
お住まい:奈良県奈良市
職種:作業療法士
勤務施設:総合病院のリハビリテーション科
作業療法士としての経験年数:20年
エピソードをお寄せいただき、ありがとうございました!