ここぴたる!

医療・介護職の「ありがとう」エピソード集

作業療法士の方が、身体機能の向上は見込めなかった祖母のQOLを向上させてくださったことに、とても感謝しています。

f:id:cocopital:20180822141039j:plain


私は小さい頃から祖母のことが大好きで、遠く離れたところに住んでいましたが、よく一人で会いに行っていました。

 

祖母がだんだん年を取ってきたために、一人で生活することは危険になり、3年前から、私の両親と住むようになっていました。

 

私の両親が私の家の近くに引っ越してきたので、祖母にたくさん会えるようになることが、とても嬉しかったことを覚えています。

 

私の両親と住み始めて、2年ほどたった頃、祖母は、腰部を骨折し、病院に入院することになりました。

 

私はその時、妊娠したばかりでした。

 

おばあちゃん子だったのもあり、また、母は働いていたために、妊娠中に一人ぼっちになってしまったようで、とても寂しかったことを覚えています。

 

骨折が治れば、退院できるはずでしたが、入院中に他の病気になり、退院はなかなか難しい状態となりました。

 

祖母に曾孫を見せれることをとても楽しみにしていましたが、祖母の様子はあまりよくならず、予定日までに退院することは難しくなりました。

 

妊娠中もできる限り病院に通っていましたが、私も働いていたために、祖母を担当している方々に会うことはできませんでした。

 

ですが、私が妊娠していることを知っていたようで、担当してくださっていた作業療法士の方が、リハビリのときに祖母と安産のお守りを作ってくださいました。

 

もともと手先が器用な祖母で、私が産まれた頃には私の服をたくさん作ってくれており、私の娘に、服を作ってもらうことを楽しみにしていました。

 

ですが、入院してからはそういったことは難しい状態になってしまい、祖母から何か作ってもらえるとは思っていませんでした。

 

あの手の状態で、よく作ってくれたと、とても嬉しく感じました。

 

祖母に赤ちゃんを抱いて欲しかったので、作業療法士の方に、赤ちゃんを抱くことができるようにリハビリをしてもらえるようお願いしていました。

 

1度リハビリを見学しましたが、祖母は、プライドも高く、リハビリへの意欲もなく、拒否が多いようで、時間いっぱいリハビリをすることは難しい様子でした。

 

その様子を見ていたので、安産のお守りには、とても驚きました。

 

また祖母は入院が長くなることで、認知症になってきてしまいました。

 

私と母を間違えることも多く、どんどん進行したために、私の予定日近くには、私の名前が出てこないこともありました。

 

こういったことがいつか起こることが分かっていたとはいえ、とても悲しかったです。

 

ある日、祖母の病室に行ったとき、私の写真がありました。

 

私の名前も記載してあり、祖母が私を忘れないように、作業療法士の方が作ってくださったようでした。

 

少し寂しい気持ちのまま、出産になってしまうのかと思っていましたが、作業療法士の方が、名前入りの写真を作ってくださったおかげで、私の名前が出てこないことは、出産までありませんでした。

 

その後もリハビリを頑張り、治療を行っていましたが、私の出産までに退院することはできませんでした。

 

ちょうどその頃、感染症も発症してしまったために、一時退院もできませんでした。

 

そしてあまり状態もよくなかったために、私の出産した病院まで、母が祖母を連れていくことは、許可がおりませんでした。

 

とても寂しかったことをよく覚えています。

 

出産後、私の予後も、あまりよくなく、また新生児がいたため、頻繁に祖母の病室に面会に行くことは難しそうでした。

 

面会に行けるとすれば、私が出産した病院から退院する日に、実家に行く前に寄ることができるだけでした。

 

私が退院する日は、朝から祖母の病院に連絡し、面会の許可は出ていましたが、祖母の具合があまりよくないそうで、少し諦めていました。

 

私が出産したときは、桜が咲いている時期でした。

 

私が退院した後、祖母の病院に行くと、作業療法士の方が車椅子で祖母を連れてきてくださいました。

 

祖母に、曾孫を会わせることができました。

 

病院には桜が咲いており、私の娘の名前にも『咲』という漢字を使っております。

 

そのときはまだ娘の名前を決めていませんでしたが、会いたかった祖母に、桜が見えるところで、私の娘を見せることができたことが、とても印象に残っており、『咲』の漢字を使い、名前をつけました。

 

出産後1 ヶ月過ぎた頃、祖母が退院することとなりました。

 

在宅治療に切り替えたのです。

 

私は自分の家に帰っておりましたが、実家に通い、娘と祖母の世話をしていました。

 

祖母が退院する前も作業療法士の方は家に来てくださり、いろいろ必要なもの等のチェックをしてくださいました。

 

祖母は私の出産後3ヶ月で亡くなりました。

 

亡くなる前に、私の娘を抱くことができました。

そのとき、娘も笑っていました。

 

祖母が入院している間、多くの医療関係者にお世話になったと思います。

 

頑固な性格だったために、ご迷惑をかけた方も多くいらっしゃると思いますが、私はリハビリをしてくださった作業療法士の方に、特に感謝しています。

 

妊娠中の私のことまで、気遣ってくださり、リハビリに組み込んでいただきました。

 

娘を早く会わせたかった私のために、祖母をつれてきてくださったこと。

 

祖母と娘の、桜を背景にした写真は私の宝物です。

 

祖母か作った安産のお守りのおかげか、とても短時間で産むことができました。

 

祖母は亡くなる頃、私の娘を抱くことができて、本当に良かったと言っていました。

 

入院中に、リハビリを頑張ってくださったお陰だと思います。

 

もうこれ以上、身体機能の向上は見込めなかった祖母ですが、作業療法士として、QOLを向上させてくださったことに、とても感謝しています。

 

祖母と私の娘が一緒にいた期間はとても短いものでしたが、後悔はありません。

 

私のことを最後まで、忘れることがなく、また、私の娘の名前が決まってからは、私の娘の名前も忘れないように、リハビリしてくださっていました。

 

祖母は何度も入院したことがあり、その度に多くの医療関係者の方に私も会ってきました。

 

リハビリをしている風景もよく見ていましたが、歩く練習等の筋力トレーニングが、主でした。

 

最後に担当してくださった方が、あの作業療法士の方で本当に良かったと思っています。本当にありがとうございましたと伝えたいです。

 

 

・このエピソードをお寄せいただいた方

性別:女性

年齢:20代

お住まい:福岡県博多区

感謝を伝えたい方:作業療法士

 

エピソードをお寄せいただき、ありがとうございました!