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医療・介護職の「ありがとう」エピソード集

【妊娠中の子宮頸がん】婦人科の看護師の友人の「大丈夫」のおかげで、私は今日もしっかり生きていて、子宮頸管は手術でなくなってしまったけれど、その後、無事に三人目の出産もできました。

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自らの話です。私には三人の子供がいます。

 

妊娠出産は、私にはものすごく苦労があり、三人三様のドラマがありました。

 

いろいろあるのですが、この度は二番目の長男を出産した時のエピソードです。

 

一番上の子の時にたくさんのママ友をつくりました。

 

毎日、そのママ友と行動しているかんじでした。

 

その上の子が少しずつ成長し、周りは二人目ブームになりはじめ、どんどんご懐妊していきました。

 

けれど、私の場合なかなか授からず、それもあり、話には入れないような微妙な雰囲気になりはじめ、少しずつママ友とは、距離を取り始めました。


二人目が欲しかった私は、不妊治療をはじめました。やっとのこと授かった二人目でした。


三人産んだ今となっては、なぜあの時あんなに焦っていたのだろう…と疑問におもうこともしばしばありますが。


ある日のこと、妊婦の定期検診に産婦人科にいきました。

 

すると見たことのあるママ友をみつけました。

 

じつはお互い二人目がなかなか授からず、あのママ友の輪からは離れて行った者同士だったのです。

 

それもあってか、二人は意気投合して、検診のあるたびに報告し、赤ちゃんの様子、上の子の様子をはなしながら、励まし合っていました。


友達の方が1カ月くらい予定日が早く、先に出産しました。

 

出産の報告があると、苦労を知っているぶん、涙が出るほど嬉しくてすぐに面会にいきました。

 

ずーと連絡を取り合いながら、お互いが頑張ってきた出産でした。

 

次は私の番です。

 

無事に出産が終わりました。

 

友達もすぐに面会に来てくれて、また、退院したら子供達を連れて、そとで会おうね、と約束しました。

 

しかし、最後の退院前検診のとき、担当医による内診をすると、担当医が「ん?何かあるねー。」とつぶやきました。

 

その意味深な言葉にすごく怖くなったのをおぼえています。

 

どうやら、

私の子宮の入り口に腫瘍がある、

といわれたのです。

 

本当なら次の日に退院でした、けれど、そのよくわからない腫瘍の検査のため、退院がのびていきました。

 

検査のため、赤ちゃんへの授乳もままならず、不安でいっぱいでした。

 

その後、腫瘍の生検をしました。

 

ドキドキして、なんとも言えない恐怖と闘った記憶があります。

 

しかし、祈りの甲斐もなく、生検の結果は悪性腫瘍でした。

 

私は妊娠中に子宮頸癌になっていたのです。

 

医者が言うには、

「妊娠中は、子宮頸管の色も変わるし、なかなか見つけにくい、子宮への循環も良くなるからガンも進行しやすい。けれど、無事出産は終わっているから、今からは治療に専念しよう。」

 

それからの記憶は、あまりにも辛すぎてなかなか思い出すことができないのです。

 

出産がゴールだったはずが、得体の知れない病気との戦いの始まりになってしまいました。

 

新生児へのおっぱいをとめて、薬の治療がはじまり、手術をしたりして、地獄のような日々でした。

赤ちゃんにおっぱいがあげれないつらさは、ほんとうに悲しみしかありません。体はおっぱいをあげようと、たくさん作っているのに、おっぱい自体に赤ちゃんには悪い薬が入ってしまっているので、絞っては捨てる毎日でした。


毎日のように連絡をしていた、その友達にはかろうじて気持ちをぶちまけて、自分の置かれた環境の報告をしていました。

 

友達も新生児のお世話、上の子のお世話で大変な環境でしたが、自分のことのように気にかけて、はげましてくれました。


病院のお医者さんや看護師さんよりも、ものすごく詳しくて、入院中は、私は誰よりもその友達の言葉を信じ、アドバイスの通りにしてきました。

 

その時は、すごく詳しいなあくらいしか思っていませんでしたが、のちのち退院して聞くと、その友達は、すごく有名な病院の婦人科の看護師さんをされていました。

 

いろんな症例を知っていて、「その症状なら諦めずにこうしてごらん」とか、「それは、自然に良くなるから、時間を待つしかないよ」など、小さなことでも、丁寧にいつもいろんな案をおしえてくれました。

 

例えば手術をして、尿管が傷ついてしまい、尿意も感じれなくなり、自力で排尿できなくなり、毎回管を入れて排尿せざる得なかったとき、泣きじゃくる私に、その友達は、「焦らなくて大丈夫!手術してすぐはなかなかでなくても、のちのち練習して、絶対に自力で排尿できるようになるよ!そんな患者さんを私はたくさん見て来ているよ。私を信じて諦めないで、あせらないで!」

 

私はもう、一生管を入れながら、排尿しないといけないのかと、絶望し、情けないやらで、途方に暮れていた。ときでした。なので、その言葉にわらをもすがる思いで信じようときめました。結果、本当に何度も練習をするうちに自尿がスムーズに出るようになりました!


その友達は、そんな風にいつも声をかけてくれました。

 

子宮頸癌になったときも、

「絶対に大丈夫!赤ちゃん残して死ねわけがないじゃん、赤ちゃんが生まれて来たからわかった病気なんだよ。赤ちゃんがおしえてくれたんだよ。だから、絶対に大丈夫!そのおしえてくれた大事な赤ちゃんそだてるんでしょ?その気持ちがまずは必要。大丈夫!私が言うんだからほんとだよ!」と、強い言葉をたくさんもらいました。

 

あの婦人科の看護師さんをしていたお友達がいなかったら、私はずーと塞ぎこんでいただろうし、前向きに新生児とも向き合っていられなかったと思います。

 

自分の命が脅かされる恐怖で、子育てをする心境になる余裕など残っていなかったとおもいます。

 

けれど、あの時、気持ちに少しでも新鮮な空気がいれられたのは、根拠のない「大丈夫」ではなく、事実や現実に基づいたしっかりした「大丈夫」でした。


あの看護師の友人の「大丈夫」のおかげで、私は今日もしっかり生きていて、子宮頸管は手術でなくなってしまったけれど、その後、無事に三人目の出産もできました。

 

三人ともいろんな苦労があった出産ですが、二番目のあの子宮頸癌は一番強烈な体験でした。

 

どうあれ、今がとても幸せで、命があって、やんちゃな子供達と毎日過ごす日々がとても幸せです。

 

あの時の友達はすでに看護師さんとして、復帰されていて、最近はあまりはなせてはいませんが、今でも心から感謝していますし、私も何かあれば彼女の力にいつでもなりたいと思っています。

 

・このエピソードをお寄せいただいた方

・性別:女性

・年齢:40代

・お住まい:広島県広島市安佐北区

・感謝を伝えたい方:看護師の友人